第7回毎月短歌、連作部門の入賞者を発表します
[編集部より]選者の遠藤健人さんに発表原稿をお預かりして短歌マガジンより発表させていただきます
はじめに
はじめまして、遠藤健人と申します。短歌を作り始めてもうすぐ5年経つのですが、選者の立場になるのは初めて、というか他人の歌に評を書くのも今回が初めてになります。評に関しては、5年もやってて!? という感じですよね。初めてなりに頑張りました。何かありましたらtwitter(自称X)の方にご意見をお寄せください。
自由詠、テーマ詠、1月の自選それぞれの部門で特選一~三席と佳作4首を選び、特選歌には一首評を書きました。選歌は作者名をふせた状態で行っています。
自由詠
【一席】
アンブシュアはほほえむかたち 朝露の花壇の横になんども立った/石村まい
「アンブシュア」は管楽器を演奏するときの口の形や状態のことを指す言葉だそうです(知らなかったです)。おそらく、部活の朝練のときにはいつも花壇の横で練習していた、といった景を詠んでいるのだと思いますが、「(花壇の横で)吹いた」「練習した」などと言わずに「立った」と言うことで、孤独な主体の姿が浮かんでくるように思えます。上手なほほえみ方をひとり練習しているような。「朝露の花壇」という言葉がとても美しいですね。
【二席】
指先がセロリだったらどうするか2回も考えたことがある/高遠みかみ
考えたことがある、という報告に終わっていて、結局どうすることにしたのか明かされていないところが面白いですね。食べるのか、放っておくのか、誰かにあげるのか……。「2回」というのも絶妙な回数だと思います。1回くらいならまあそういう妄想もしないこともないので普通かなという気がしますし、3回以上だとちょっとセロリに憑りつかれてるのかなとか、あるいは余程暇なのかなとか思ってしまうし……。
【三席】
切り刻み煮ても焼いても小松菜はいつまでも死を受け入れず青/維々てんき
調理の過程で食材の色が変わる様子を「死を受け入れ」ているのだとする捉え方が面白いと思いました。そうすると、死を受け入れやすい野菜と生に固執しがちな野菜があることになるので、様々な食材に対する見方が変わってきますね。「青」でブツッと切れている終わり方もかっこいいと思いました。
【佳作】(4首)
「夢の中で人を刺したことがある」にいいえと答えて乗る新幹線/深山睦美
防波堤だったのでしょう月を見るためにあなたが上げる前髪/未知
つるぎ舞う空中庭園地に堕ちて薔薇椿薔薇牡丹薔薇薔薇/畳川鷺々
養殖ポリプロピレンの音きけた?ここはミニマリストのふるさと/折原あるく
テーマ詠「映画」
【一席】
どの恋も映画になってしまうのがこわくていつも林檎はうさぎ/肺
唐突に「林檎はうさぎ」という言葉が出てきて、読み手としては振り回されるというか置き去りにされるというか、でもどうしても見過ごせない一首でした。どんな恋も起承転結があって人を感動させるような物語にまとめることができてしまうけれど、本来もっとぐちゃぐちゃで説明のつかないものが恋であり、無粋な手つきで恣意的に物語化されるのは耐えられない。その物語化を防ぐ祈りの儀式として林檎をうさぎ形に切っている……といったふうに読みました。が、あまり理屈をつけて読む歌ではないのかもしれません。この歌自体がわかりやすく消費されるのを拒んでいると言いますか。批判的な視点で映画を捉えた投稿歌が少なかったこともあり、注目しました。
【二席】
藍色のおおきな夢にかかとから掬われにゆく6番シアター/石村まい
こちらも不思議な感覚の歌でとても惹かれました。この歌の主体はわくわくしたいとか共感の涙を流したいとかとは違う、違うというか、そういう感動も含んだ上で人生をひっくり返される体験を映画に求めているのでしょう。やっぱり映画館で観るのはいいよね、という内容の投稿歌は他にもありましたが、この一首は体全体、心全体で没入するような映画体験が表現されていて優れていると思いました。結句、「6」という数字を選択したことによる字余りは不穏な感覚を惹起するものとして効果的だと取りました。
【三席】
入れ替わらないし過去にも戻らない現現現世のぼくぼくぼくだ/畳川鷺々
「前前前世」(『君の名は。』の主題歌)をもじった下の句がとにかく面白い一首。自虐っぽい感じもありつつ、自分は自分として現世で生きていくんだという矜持を感じさせ、パワフルな歌になっていると思いました。
【佳作】(4首)
気が散ってしまうのを承知で繋ぐ左手 雪の香りの映画/久久カナ
必要な退屈として選ばれた映画は二人のために流れる/プリン
手をとってきょうはシネマにいきましょう くちづけのあるものを見ましょう/短歌パンダ
あなたはね好きな映画を語る時「変わってる」って言って欲しいだけ/はるお
1月の自選
【一席】
ひとりっ子だから庭じゅうとりのほね抱きしめているようにさびしい/石村まい
初読では「ひとりっ子だから(私は)さびしい」という理路を前提として読むのが自然かと思いましたが、繰り返し読むうちに二句の「だから」の後、二句と三句の間、三句と四句の間のいずれかに切れ目があるという解釈もできる気がしてきました。「さびしい」のは〈私〉であるとも言えるし「庭」であるとも言える。また、庭に広がっている光景をたくさんの「とりのほね」であると取ることもできるし「ひとりっ子」の群れであると取ることもできる。どの可能性も排除されてはいませんが、どう読んでも謎が多く、その謎が一首を魅力的なものにしていると思いました。ひらがなが多い、というより漢字がぽつりぽつりと配置されている印象の表記も効果的です。
【二席】
人生のきみに出会うまでの時間 ロータリー、までの完璧な手順/ぶん
読点の使い方が独特な一首。これまでの人生で訪れた場所を手順書のように、家、学校、コンビニ、家、……などと書き連ねていき、ついに「きみ」と出会う「ロータリー」に辿り着いた。そしてその後の日々にも読点は延々と続いていく、というイメージでしょうか。きみと出会えた喜びと人生を俯瞰する冷静な視点が共存していて面白いと思いました。
【三席】
あーまじで好きって肩まで温泉に浸かった時の声で言われた/プリン
素朴な喜びが極めて自然に定型に乗せて詠われていて気持ちの良い一首ですね。自分が作歌するとき、詩的な強度を高めようとして表現をいろいろこねくり回そうとしてしまう癖があるのですが、やはりこの歌のように情報量が適切で読み手に負荷をかけない歌がいちばん良いなと思いました。「時」は「とき」とした方が自然な表記ではないかと思います。
【佳作】(4首)
寂しさが煮詰まりきった午前二時、あなたに手紙を 書いてはいけない/唯有(ゆう)
水底に降りたひかりのようでした低めの声で電話するひと/朝路千景
もうここで大丈夫です彼のこと誰も知らない銀河ですから/小石岡なつ海
傷なのか傷跡なのかわからない見つけてほしくないこともない/畳川鷺々
おわりに
たくさんの素敵な作品に出会えて嬉しかったです。すべての投稿者のみなさま、企画に誘ってくださった深水英一郎さまに感謝申し上げます。
【文・遠藤健人】
選者プロフィール
遠藤健人(えんどうけんと) @kento16g1
1990年神奈川県生まれ、神奈川県在住。第6回笹井宏之賞個人賞(永井祐賞)受賞。第64回短歌研究新人賞次席。ツイッターで「うたの日の薔薇短歌bot」(@utano_bara)の管理人をやっています。