[編集より]かきもちりさんより原稿をお預かりして、短歌マガジンに選評掲載させていただいております。
はじめまして。かきもちりと申します。Twitter(現X)の片隅で短歌を詠んだり読んだりしています。
みなさんの歌を楽しく、大切に読ませていただきました。素敵な歌ばかりでしたが、特に心に残った歌をいくつか選ばせていただきました。選をするというには力不足が否めないかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
※選をする際には作者名を伏せております。
■自選部門
まずは自選部門から。
一席(自選)
日本史に残らないことをしています ふたりで、鈍器、選んでいます
/高遠みかみ
この何気ない不穏さですぐに選びました。
上の句で「日本史に残らないことしています」。何をしているのかなと思って読み進めるのですが、下の句でも「二人で、鈍器、選んでいます」で終わり、
結局のところ二人が何をしているのかは具体的には明かされません。
ポイントである「鈍器」の不穏さが光ります。
「鈍器」という言葉は比較的使われる場面が限られるので、やはり何らかの「目的」を感じてしまいます。そしてここで上の句の「日本史」が響きあうことで「土器」の
イメージが重なってきます。(これはちょっとわたしの拡大解釈が入っているところですが)
鈍器を「、」で挟んでいることでより不穏さが強調されていると思います。
いわゆる学校で習うような「日本史」に残っている事件って、改めて考えると人が死ぬことが多いですよね。
例えば教科書の最初の数ページ、縄文時代においても石器の斧、矢じりと武器として使えるものが載っていて、人間はそれほどの昔から争っているのだということに気付かされます。
合っているかはわかりませんが、わたしは二人で新生活をはじめるために食器を選んでいる景を思い浮かべました。
二人で歩みはじめることを「共犯」になるように感じている。日本史の教科書は争いの順番を覚えていく本と考えることもできると思います。そして、争いと争いのあいだ、「日本史に
残っていない」時間にも、人は生きていて、次の争いへ続いている。
主体は自分の行いの重さを知っている。そして知っていることをわからせないような語り口の軽さ。音と意味が響きあい、総合的にとても良い歌だと感じました。
読ませていただきありがとうございました。
二席(自選)
新しいバスのどでかい行き先の表示みたいな好きを言いたい
/瀬生ゆう子
さわやかさにつかまれました。これは恋なんでしょうかね。でもあんまりさわやかに読めるので、どの種類の「好き」でもいいのかもしれない。
相手とはどんな関係でもいいと思うのですが、「新しいバス」ですから、最近できたばかりの関係なんでしょうね。
んー、ただ「ひとめぼれ」とかみたいにしちゃうとなんか違うかも。新しい季節に、「どでかい行き先表示」みたいに、わかりやすく伝えたい「好き」。
ちょっと外れますが、バスって公共交通機関の中でも乗りこなすのが屈指の難しさだと思うんですよ。(わたしだけ?)
前乗り?後乗り?前払い?後払い?最近はICカードのおかげで楽になりましたが、料金は小銭だけ、とか。
で、行き先表示も終点はわかるんだけど、自分の目的地があるのかはわからないことが多くないですか?「〇〇方面」行きとあるけれど、その方面に目的地が
書かれていなくて、バス停でじっくりバス停があるかどうかを見る。
多分この二人(としましたが別に人間でなくても、ね)の目的地もほんとうはわかりにくい、あるいは見えていないのかもしれません。そこに不安があるのかもしれません。
だからこそ、「どでかい行き先表示」みたいにどーん!とわかりやすい「好き」を掲げて進み始めるのでしょう。
読後感がさわやかで、でもかみしめるとそれだけではない、想像が広がるとても良い歌だと感じました。
読ませていただき、ありがとうございました。
三席(自選)
義父母からロンする時は深々と一礼してから裏ドラめくる
/アゲとチクワ
これはもうこのシチュエーションを詠もうとした時点で勝ちだと思います。義父母と雀卓を囲むという緊張感。
関係ないですけどもう一人のメンツは配偶者でしょうか。もしくは三麻?
えっ、囲めますか?義理の両親ですよ?いや全然わたしも比較的仲は良い方だと思うのですが…。
詞書を読むと、お正月に義父母と麻雀をして、ロンするときの気まずさということなので、この方は囲めるんですね…まず卓につける度胸を称賛してしまいました。
わたしも麻雀は詳しくないんですけど、裏ドラってことはこの人リーチかけてるじゃないですか。ロンの時に一礼するくらいですから、「リーチ、させていただきます」くらいは言ってそう。いや礼儀正しいんですけど、めちゃくちゃ上がる気満々じゃん!!
「近代麻雀」なんかでよくある、大事なことを麻雀で決めるような場面でしょうか…。
ちょっとしたこと(例えばお菓子の最後のひとつを賭けて)などの軽い話でもアリですが、ここはやはり相続などの重い話を決める一戦であってほしいです。
三十一文字で一局分読んだような気分になる、良い歌だと思います。
読ませていただき、ありがとうございました。
佳作(自選)
自由詠部門からは佳作として次の三首を選ばせていただきました。
みなさま読ませていただき、ありがとうございました。
とん、とん、と値引きシールを貼っていく子を眠らせるようなリズムで/梅鶏
(ああきっときみだけが知る顔がある)課長のLINEアイコンに犬/眞木環
ねむりから覚める途中のふやふやを遮光できないカーテンがくるむ/畳川鷺々
■テーマ詠「映画」部門
続いて、テーマ詠「映画」部門です。
一席(テーマ詠「映画」)
気が散ってしまうのを承知で繋ぐ左手 雪の香りの映画
/久久カナ
冬、二人で見に行った映画でしょうか。
映画そのものよりも、きっととなりにいる大切な人のことを強く記憶しているのでしょう。気が散るのをいとわずに手を握る。
もしかすると、そうやって手を繋いでいないと、手の上の雪がそっと溶けるようにいなくなってしまうかもしれないように感じたのかもしれません。
そして主体は映画なのに、「雪の香り」としか述べていません。
嗅覚で見る映画…4DXですか?違いますねたぶん。
スクリーンよりも大切なものを抱きしめた時の香りが映画と結びついているのでしょうか。
ショートフィルムを見たような美しさを感じた一首でした。
読ませていただきありがとうございました。
二席(テーマ詠「映画」)
賑わいの遺跡のごと立つシアターの残れる街に吾も住みおり
/青糸りよ
主体の住む町に残っているこの廃業した映画館は当時の賑わいを思わせる姿で今も存在しているのでしょう。
「シアター」という表現から、その映画館に昭和のフォントで「シアター」と看板がかかっているかのような、そのさみしい姿も想像させます。
映画館は、建物の中にとても大きな空洞を抱えています。
人が少なくなり、空洞となった町そのものに住む自分を、まるで観客がいない映画館にひとりで取り残されているかのように感じたのではないでしょうか。
スクリーンには往時の賑わいの記憶が映し出されているのでしょうか。
そのことがより寂しさを滲ませます。
わたしも、映画館が無くなった街に住んでいたので、強く共感を覚えた歌でした。
読ませていただきありがとうございました。
三席(テーマ詠「映画」)
どの恋も映画になってしまうのがこわくていつも林檎はうさぎ
/肺
「どの恋も映画になってしまうのがこわくて」
終わってしまうことが怖いのでしょうか。
それとも映画のように燃え上がってしまうのが怖いのでしょうか。
しかもそのせいで主体はいつも林檎をうさぎ型に切ることになっている。なぜ?
真っ赤な林檎を剥けば、白い果肉があらわれます。さみしいと死んでしまう、という伝説があるうさぎに仕立てることで、恋がすぐに燃え尽きることを抑えているのでしょうか。
すごく不思議な、そしてわたしに理解できているかはわかりませんが、とてつもない切実さを感じる歌でした。
読ませていただきありがとうございました。
佳作(テーマ詠「映画」)
テーマ詠「映画」佳作は次の四首です。
読ませていただきありがとうございました。
いや別に、ちょっと思い出しただけ 消えそうで消えない火のことを/猫背の犬
手をとってきょうはシネマにいきましょう くちづけのあるものを見ましょう/短歌パンダ
藍色のおおきな夢にかかとから掬われにゆく6番シアター/石村まい
この夏の空を紡いだ髪留めに記憶をくくり一つ踏み出す/水川怜
■自由詠部門
最後に、自由詠部門です。
一席(自由詠)
物事の裏までしっかり見る龍馬「つまりブラジルは日没ぜよ…?」
/伊津見トシヤ
わたし個人として、今回選んだ中で優勝です。読めばわかるしわたしのコメント要ります?いやむしろこれはわたしが詠んだことにならないですかね。無理か。
あえて説明する必要もないと思いますけど、坂本龍馬の「日本の夜明けぜよ!」っていう散々にこすられてきたやつですよね。
「物事の裏までしっかり見る龍馬」なんですってよ、この人。むしろこの上の句自体は龍馬の残した功績から見るとただの正解なんですけど、その「物事の裏までしっかり見た」
発露としてのセリフが「つまりブラジルは日没ぜよ…?」って、いや、ほんと間抜けなセリフなんですけど、大真面目っぽくてすごく好きです。
なんか、小学生の時にクラスのほぼ全員の干支が同じであることに気付いて「運命じゃない…?」って興奮しながら教えてくれたゆうくんを思い出します。
さっきも言ったように、散々こすられたセリフから価値を生み出す発想勝ちだったと思います。
読ませていただきありがとうございました。
二席(自由詠)
「夢の中で人を刺したことがある」にいいえと答えて乗る新幹線
/深山睦美
新幹線は手続きらしい手続きをせずに乗ることができますが、この世界ではこの問に答えないと乗ることができないようです。
セキュリティチェックが「夢の中で人を刺したことがある」という質問。いいえと答えて乗る新幹線なので、はいと答えてしまうと乗車を拒否されてしまう。
この質問には、果たして意味があるのでしょうか?「いいえ」と答えた人は本当に「安全な」人間なのでしょうか。
そしてこの新幹線は「夢の中で人を刺したことのない人」ばかりを乗せて高速で目的地へ向かっていくのですが、その目的地がどこなのかもわからない。
思想統制の強いSF的な世界を描く、風刺的な一首と感じました。心の中、無意識の夢の中での殺人ですら許されない。
夢の中ですら品行方正な人間がいるのならば、わたしにとってはその方が病的に思えます。
鋭さを持つ良い歌だと思いました。
読ませていただきありがとうございました。
三席(自由詠)
会うたんび有詩卵を産むにわとりへ用済みだから告ぐさようなら
/瀬生ゆう子
まず目を引くのが「有詩卵」という造語。これとてもいいです。会うたびに産んでくれるんですね。でも、用済みになったというのはどういうことなのだろう。
自分でも詩を生むことができるようになってしまったのか、それとも「十分に詩を手に入れて」しまったのか、その人にとって「詩」が要らなくなったとはどういうことなんだ。
もしもこれが愛情表現としての詩であり、それに「満たされてしまったからさようならを告げる」のであれば、とても悲しい、それは告げられたにわとりよりも悲しい在り方では無いかな、と思います。
本来、詩に満たされることは無いとわたしは思っています。詩が無いと生きていけない人は、永遠に新しい詩が欲しくなるし、詩が無くても生きていける人はそもそも詩を受け入れる皿を
持たずに生きているし。
だから、もし満たされたと感じてもう十分だと感じたのなら、それは詩ではない何かだと思うのです。
そして別れを告げられ、孤独になったにわとりは卵を産み続けるでしょうか。有精卵は二匹いないと出来ないのと同じ仕組みなのであれば、その卵は無詩卵になってしまうのでしょうね。
にわとりに仮託されたさみしさが心に沁みる歌でした。
読ませていただきありがとうございました。
自由詠部門での佳作は次の一首です。
読ませていただきありがとうございました。
佳作(自由詠)
栞には微かな祈りを閉じ込めてまた泣いた日に会いにくるから/佐竹紫円
以上です。
正直に言って、きちんと読ませていただけているか不安な歌もありますが、それはひとえにわたしの力不足に起因するものです。
拙い選ではありましたが、どの歌も大変楽しく読ませていただきました。
改めて、すべての歌を読ませていただき本当にありがとうございました。
では、またどこかで。
(文・かきもちり)