■秋の短歌
橋のうえを超えゆくものを秋という 風・ゆりかもめ・ゆりかもめ・風 (杉﨑恒夫)
歌集『食卓の音楽』より
はじめて読んだとき、東京新橋から豊洲間を走る新交通システムゆりかもめのうたかと思いました。陸橋の上を走り、複線なのでゆりかもめが二回繰り返されていると。
でも、調べてみると、この歌集が出版された1987年、まだ新交通ゆりかもめは開通してませんでした。『歌集 食卓の音楽』には秋のうたが多くあり、このうたの直前は「たくさんの空の遠さにかこまれし人さし指の秋の灯台」。秋は雲が高く空が澄んでいるので視線が自然とうえを向くのですね。
橋と高い雲の間を飛んでいる鳥、ゆりかもめ。遠くの空の風は見えないものですが、二羽のゆりかもめの動きでそれが見える。そんなうたなのだろうと思いました。
聞いていた話のとおり台風が移動したから届かない本 (くろだたけし)
歌集『踊れ始祖鳥』より
気象現象という地球規模の出来事である台風。でもそれは、自分に影響を及ぼすまで単なる情報でしかなくて。実際本がこないというリアルを通じて情報だった台風が現実のものとして立ち上がってくる、という面白さを感じます。そしてオンライン書店で買った本も、手元に届くまではまだ情報にすぎないんだなぁと思いました。届くはずなんだけど。
約束を果たせないまま物置の隅に眠っているシュノーケル(五島諭)
歌集『緑の祠』より
夏は大きな約束のある季節。そんな気がしますね。秋になったらその約束を振り返って、果たせなかったと改めて思う。
十六夜の寸胴鍋にふかぶかとくらげを茹でて君が恋しい/鯨井可菜子
歌集『タンジブル』より
歌集の巻頭歌です。月と鍋とくらげがどれも円形でほのかに光っているように感じるというビジュアル。非現実なものが調理されているという不思議さ。ふかぶかとした寸胴なべの中がそのままこの世界をあらわしているような。浮遊感のある不思議なうたです。
詩人たちの本名につづけて金額を打ち込んでおり秋の銀行/飯田有子
歌集『林檎貫通式』より
「雪かたつむり」という連作のなかにある一首。なので舞台は冬なのかもしれないけどはっきりしません。さまざまな季節が織り交ぜられた連作のようにも感じます。さて、詩人の本名に金額を打ち込んでいく。それはなんの金額なのだろう。詩集の売上? 詩人の年収? もしかしたら銀行が詩人を値踏みして詩人の市場価値を数値化しているのでしょうか。詩人と数値ってなぜか真逆のもののように感じます。詩人でも数値やお金とは無縁ではいられないのに不思議です。実際には少ないながらも裕福な詩人もいるはずなのですが、あくまで印象としては、詩人といえばお金がない。銀行はなぜそんな酷なことをするのでしょう。そしてその作業は秋におこなわれている。その季節は、春ではないし夏でもない。それだと華やかすぎます。そして、冬だともう手遅れのように感じます。時間の流れの中で粛々と詩人の名前のかたわらに金額を打ち込む作業が続きます。それは詩人の価値が時間の流れ、時代の流れの中で変化しているということをいっているのかもしれません。
宵闇の九月にめざめヒガシマルうどんスープが味方でいること/上坂あゆ美
歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』より
ヒガシマルうどんスープ。一袋30円ぐらいだろうか。早寝してしまい、しかも夜まだはやいうちに目覚めてしかも空腹なとき。こんなとき、うどんは僕らの助っ人だ。ちょっと身体にもいいような気がする。冷凍うどんはどの家庭にも常備してあることでしょう。一袋70円ぐらいだろうか。合計100円。夜は涼しくなってくる九月、あったかい素うどんを食べる。おそらくひとりでうどんを食べている姿は孤独ではありますが、一方ちょっとした幸せを感じてしまいます。
ゆっくりでいいからいわし、さば、ひつじ、迷わず秋の空へおかえり/toron*
歌集『イマジナシオン』より
いわし雲、さば雲、ひつじ雲って、秋にみかけるので秋の雲といわれているらしいです。彼らのすみかは高い秋の空で、そこにおかえりなさいな、と声をかけているという壮大なうた。空の雲のサイズだから、巨大ですし、ゆっくりでいい、という時間のスケールもでっかい。
翅があるのにはやく走っている虫はうけると思う 九月は暑い/永井祐
歌集『広い世界と2や8や7』より
器用に飛ぶ虫ばかりじゃなくて、たとえばカブトムシって重いからふらふら飛んでいる印象。しかも地上からいきなり飛ぼうとしてもなかなかうまく飛べなくて、樹の上とか高いところから飛ぶ。なんとかやっと飛んでるイメージ。ただ、このうたで出てくる虫は、わりとしっかり飛べるのに、走っちゃう系ですね。ゴキブリとかそうですよね。でもこのうたに出てくるのはカマキリとかかなぁと思います。バランス悪そうなのに、意外と走るのがはやい。でも飛んだほうがもっとはやい。
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは(堂園昌彦)
歌集『やがて秋茄子へと到る』より
このうたの「秋茄子」とはなんだろう。わたし自身で答えはみつけられなかったのだけど、秋茄子は、短歌のことではないだろうかと、えのさとこさんが書いておられて、今はそれがいちばんしっくりきています。このうた単体だとわからないけど、この歌集には、創作に関するうたが散りばめられていて、その流れも考えると、そういう解釈ができるんじゃないかと思いました。
■秋が似合う短歌・和歌
みなさんに、秋が似合うとおもう短歌をみなさんにツイートしてもらいました。企画ハッシュタグは「#秋が似合う短歌をつぶやく」です。
食べてからだけどこれから食べますの感じで投稿する秋のパフェ(岡野大嗣) 歌集『音楽』より
[一条さん推薦]
ふりむけば鹿がぺろんとなめてゐたきみの鞄がきらきら光る(荻原裕幸)
[秋月祐一さん推薦]
この秋にわたしが三人いたとしてそれでも余るほどの秋服(岡本真帆)
[藍元さん推薦]
図書館の窓に蔦の葉紅かりきリルケが吾に歩み寄りし日(竹田元子) 『朝日歌壇』より
[磯山武士さん推薦]
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)
[ゆりのはなこさん推薦]
心中をせんと泣けるや雨の日の白きこすもす紅きこすもす(与謝野晶子)
[冬林鮎さん推薦]
久方の月の桂も秋はなほ紅葉すればや照りまさるらむ(壬生忠岑) いづれをか花とはわかむ長月の有明の月にまがふ白菊(紀貫之) にほの海や月の光のうつろへば波の花にも秋は見えけり(藤原家隆)
[碧乃そらさん推薦]
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(藤原敏行)
[えりたさん推薦]
心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮/西行 心なき 身にもあは(わ)れは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮
[春永睦月さん推薦]
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ(藤原定家)
小倉山峰のもみじ葉心あらば今ひとたびのみゆき待たなむ(貞信公) 『小倉百人一首』
[づさん推薦]
秋ちかう野はなりにけり白露のおける草葉も色かはりゆく(紀友則)
[田舎のおばちゃん推薦]
あらし吹く三室の山のもみぢ葉は龍田の川の錦なりけり(能因法師)
[獅子宮敏彦さん推薦]